《雪面の歩行》
ビヨンポイント(秋田)
2023
《Walk on the Snow Field》
BIYONG POINT(Akita)
arts center akita
2023
ロビーでブーツを脱いで展示室へと入り、床面に設置された床板に足を乗せ、ゆっくりと体重をかけていくと、いわゆるベンド奏法の要領で板の固有振動数が高くなり、そこに響くノイズにバンドパス・フィルターをかけたかのような音響変化が現れる。ここで注目すべきは、この効果がセンサー等を用いてエフェクターを制御するような作為的な仕掛けによるものではなく、完全にアコースティックな現象によって生じているという点だ。その微細な現象に耳を澄まし、意識を集中させるとき、観客は自らの内に「場所」を発見することになる。なぜか。それはたとえ元となる音源、つまり宮本が雪面を踏みしめるノイズがアウラ無き複製であったとしても、その現象自体は観客の身体の関与によって純然たる物理法則として「いまここ」で引き起こされているからだ。つまりそこでまず聴取すべきは宮本があらかじめ用意した音の方ではない。私たちが存在し、そこに関与することで絶えず変動している世界の響きの方なのだ。こうして観客が己の「いまここ」から、その「場所」へと至ることによって、宮本がかつて歩いた雪面は、観客自身の身体地図と地続きになっていく。そして「いまここ」に在る観客の身体と、かつて在った宮本の身体との間に時空を超えたアンサンブルが生まれ、その交感に意識的であればあるほど鑑賞体験もまた深化していくのである。
宮本は自らの作品と観客とが相互に関わりあうことによって生じるこのような微細な現象を、ひとりひとりの実存に関わる大きな問題として、何処まで真剣に受け取れるかを問うている。世界に関与しようとする身体が在る限り、そしてそのことを感じ取ろうとする感覚がある限り、この世には「場所」しか存在しない。どこにも「非−場所」や「ノン−サイト」などというものは存在しないのだ。宮本の『雪面の歩行 Walk on the Snow Field』は、そのことを静かに私たちに語りかけている。
展評 白い「場所」あるいは「非−場所」
山川 冬樹(美術家、ホーメイ歌手)
※アーツセンターあきたHP(https://www.artscenter-akita.jp/archives/46182)内より一部転載